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- 2012年1月26日山形県の地域情報
- 山形市の三大植木市「薬師祭植木市」
- 2012年1月19日山形県の地域情報
- 山形市の重要文化財「文翔館」
- 2012年1月12日山形県の地域情報
- 山形市の高湯「蔵王温泉」(2)
- 2012年1月5日山形県の地域情報
- 山形市の高湯「蔵王温泉」(1)
- 2011年12月27日山形県の地域情報
- 山形県出身の作家「藤沢周平」(4)
山形市の三大植木市「薬師祭植木市」
各地にはさまざまな行事があります。
そんな全国の行事や名物などを探し求めている、私、自称・名物探偵Xが今回ご紹介するのは、山形市の「薬師祭植木市」(やくしまつりうえきいち)です。
植木市とは、庭木や盆栽、草花などを扱う市のことで、「薬師祭植木市」は熊本市や大阪市の植木市と並んで「三大植木市」の1つに数えられています。
この植木市は今を溯ること400年以上前の江戸時代の頃からの歴史が。
山形城主だった最上義光が、かつて起こった大火で焼失した城下に緑を取り戻そうと、住民に呼びかけたのが始まりだと言われています。
さらに、ちょうど市の時期が樹木の移植に適した時期であることと、近年の交通の便の向上によって規模が大きくなったいきました。
薬師祭植木市実行委員会が主催する植木市は大規模なもので、薬師公園と付近約3キロの通りに植木や縁日など約500店が出店します。
これら以外にも護摩祈祷や大般若転読会、花まつりなどが同時に行われる一大イベントです。
開催期間は毎年5月8~10日の3日間(1911年よりも前は旧暦4月8~10日の3日間行われていました)
日程にあわせ、薬師町、新築西通り、六日町などでは交通規制がかかります。
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2012年1月26日 | コメント/トラックバック(0) |
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山形市の重要文化財「文翔館」
全国には色々な名所旧跡があります。
自称・名物探偵Xが今回ご紹介するのは、山形県山形市にある国の重要文化財「文翔館」(ぶんしょうかん)です。
「文翔館」は施設の愛称で、正式名称は「山形県郷土館」と呼ばれています。
大正5年(1916年)に、二代目の山形県庁舎・山形県会議事堂として、イギリスのルネサンス様式をもとにしたレンガ造りの建物。
現在では日没から夜9時半までライトアップが行われ、約250名が収容できる議場ホールがあり、中庭、2つの会議室、8つのギャラリーが貸し出されています。
また。「文翔館」の前庭部分の南側には、日本庭園や噴水などを備えた「県政史緑地」が整備されています。
その他、コンサートやライブ、屋外イベントが行われることも多く、県民に親しまれている建築物。
「山形テルサ」(山形勤労者総合福祉センター)を本拠地とする「山形交響楽団」が「文翔館」を練習場とコンサートの会場としても利用しています。
「文翔館」は歴史のある建物というだけでなく、山形市の交通のランドマークとなっていて、周辺には山形地方裁判所、山形市役所、山形県県民会館を初めとした山形の主要施設が集まっています。
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2012年1月19日 | コメント/トラックバック(0) |
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山形市の高湯「蔵王温泉」(2)
全国の観光地や名産品を探索している自称・名物探偵Xが今回もお届けするのは、引き続き山形市の「蔵王温泉」です。
「蔵王連峰」の西麓にあり、雄大な自然に抱かれた、標高880m高所に位置する温泉で、同じく山形県の白布温泉、福島県の高湯温泉と共に「奥羽三高湯」の一つに数えられています。
「蔵王温泉」の温泉街には「酢川」が流れ、上流には温泉を祀った「酢川神社」があります。
共同浴場は「上湯」、「下湯」、「川原湯」が存在し、日帰り入浴施設が3軒。
「下湯」の前には足湯も設置されていて、観光客から人気を集めています。
春から秋にかけて作られる、川沿い「大露天風呂」が名物です。
1960年代の高度経済成長時、昭和37年(1962年)に「蔵王エコーライン」が開通。
昭和38年(1963年)には「蔵王連峰」が「蔵王国定公園」に指定されました。
昭和39年(1964年)に「日本百名山」の1つに「蔵王山」が選ばれ、観光地としてこの地に注目が集まるようになったのです。
また、観光振興の目的で昭和38年(1963年)に「蔵王夏まつり」を開催。
同祭からはのちに「山形花笠まつり」が生まれ、「東北四大祭り」に数えられるようになります。
このような流れの中、「蔵王温泉」も飛躍的に発展し始め、今に至るのでした。
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2012年1月12日 | コメント/トラックバック(0) |
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山形市の高湯「蔵王温泉」(1)
どうも。
全国各地の観光地や名産品を発掘している自称・名物探偵Xです。
今回は山形市の「蔵王温泉」をご紹介したいと思います。
「蔵王」の名前がつくとおり、山形県山形市南東部の「蔵王連峰」の西麓にあり、雄大な自然に抱かれた高所の温泉であることが魅力の一つ。
「蔵王温泉」はかつては「高湯」(たかゆ)の名前でも親しまれていました。
標高880mに位置しており、同じく山形県の白布温泉、福島県の高湯温泉と共に「奥羽三高湯」の一つに数えられています。
国内有数の大きさを誇る「山形蔵王温泉スキー場」が隣接していて、冬季はスキー客で賑わいます。
泉質は含硫化水素強酸性明礬緑礬泉で、源泉が複数あり、それぞれ温度やpHが少しずつ異なるのが特徴。
いずれも強酸性の泉質が特徴で、古くから皮膚病に高い効能があると言われてきました。
また、肌を白くする効能があるそうで、「姫の湯」の異名も持ちあわせています。
温泉街には共同浴場や日帰り入浴施設が点在していて、数十件の旅館やホテルが建ち並び、企業の保養所まで含めると、その数は120軒を越えるのだとか(全ての施設に温泉が導入されているというわけではありません)
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2012年1月5日 | コメント/トラックバック(0) |
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山形県出身の作家「藤沢周平」(4)
名所旧跡・観光スポットなどを紹介している名物探偵Xです。
今回も山形県出身の作家、藤沢周平にスポットを当ててまいります。
妻を失い、その想いを投影するように没頭していった小説でしたが、やがて藤沢も1969年には再婚を果たし、長女とあわせて三人で新しい生活を始めます。
1971年には、とうとう『溟い海』が第38回オール讀物新人賞を受賞。
藤沢は直木賞候補となり、翌年『暗殺の年輪』で第69回直木賞を得ます。
藤沢は新進の時代小説作家として認められるようになっていき、この年最初の作品集である『暗殺の年輪』を文藝春秋より刊行。
翌1974年には日本食品経済社を退社して、本格的な作家生活に入ったのです。
作家生活に入ってからは意欲的に創作に励み、数々の作品を世に生み出していきます。
1980年には、町人もの『橋ものがたり』、『霧の果て-神谷玄次郎捕物控』は捕物帳を。
1981年には、どこかユーモアを感じる『隠し剣孤影抄』や『隠し剣秋風抄』など。
1982年には『愛憎の檻』、立花登第3作『人間の檻』、『用心棒日月抄』第3作『刺客』などなど。
1995年頃からは結核手術の際の輸血で罹患した肝炎によって入退院を繰り返すようになり、1997年1月、肝不全のため東京の病院で逝去しました。
その死を悼み、没後に山形県県民栄誉賞と鶴岡市特別顕彰(鶴岡市名誉市民顕彰と同等)が贈られています。
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2011年12月27日 | コメント/トラックバック(0) |
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山形県出身の作家「藤沢周平」(3)
全国の名所旧跡・観光スポットなどをご紹介している名物探偵Xです。
今回も引き続き山形県出身の作家、藤沢周平にスポットを当てたいと思います。
中学校へ赴任し、教鞭を取っていた藤沢は病に倒れ、余儀なく休職することとなりましたが、この予後が転機となり、作家への礎を築くこととなりました。
1957年、退院準備に入っていた藤沢でしたが、新しい就職先が見つからず、郷里で教員生活を送ることを断念せざるおえませんでした。
そこで、練馬区貫井町に下宿して業界新聞に勤め始めます。
ただし、その職業も倒産などが相次ぎ数紙を転々。
1959年に結婚し、1960年に株式会社日本食品経済社に入社して『日本食品加工新聞』の記者となります。
そんな中でも文学への灯火は持ち続け、こつこつと小説を書き綴っていました。
1963年に長女が生れますが、その後すぐに妻が28歳という若さで急逝してしまいます。
藤沢はこのことにたいへん強い衝撃を受け、その心のすき間を埋めるように時代小説の筆を執ったのです。
「倶楽部雑誌」に短編を発表し、翌年以降は毎年のように「オール讀物新人賞」に投稿を始めました。
1965年から藤沢周平のペンネームを使いだしたのですが、この名の「藤沢」は妻の実家のある地名で、「周」の字はやはり妻の親族の名からとったものなのだとか。
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2011年12月20日 | コメント/トラックバック(0) |
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山形県出身の作家「藤沢周平」(2)
各地の名所旧跡・観光スポットなどのリサーチを行っている名物探偵Xが今回お送りするのは、前回から引き続き山形県出身の作家、藤沢周平(ふじさわ しゅうへい)についてです。
1949年、山形師範学校を卒業後、山形県西田川郡湯田川村立湯田川中学校(現在は統合)へ赴任した藤沢は、国語と社会を担当していました。
1951年に同人雑誌『砕氷船』の後継誌『プレリュウド』に参加しましたが、この年3月の集団検診で肺結核が発覚し、余儀なく休職となりました。
1952年2月には東京都北多摩郡東村山町(現在の東村山市)の篠田病院に入院。
保生園病院で右肺上葉切除を受けたというのですから、当時でなくてもこれは大手術でした。
これを書いている私自身も、肺結核ではないのですが、病歴があります。
病気というのは恐ろしいもので、その人物の運命さえ左右してしまいます。
藤沢も病気療養中は苦しんだでしょうが、この結核を発症したことが何らかの転機となったことは間違いありません。
藤沢の回復は順調で、篠田病院内の句会に参加するなど、俳誌『海坂』にも投稿を行うようになります。同時にこの時期に海外小説を始めとした多くの本に触れ、奇しくも作家への基盤を築くことになったのです。
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2011年12月13日 | コメント/トラックバック(0) |
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山形県出身の作家「藤沢周平」(1)
全国各地の名所旧跡・観光スポットなどのリサーチを行っている名物探偵Xです。
さて、今回注目したいのは山形県。
この地を出身とする作家、藤沢周平(ふじさわ しゅうへい)について語らせていただきます。
藤沢周平は、1927年、山形県鶴岡市(旧・東田川郡黄金村)に生まれました。
ちなみに藤沢周平はペンネームで、小菅留治(こすげとめじ)が本名です。
実家は農家で、藤沢自身も子供の頃から家の手伝いとして農作業に関わっていたそうです。
その経験は、藤沢の作品の中にも色濃く投影されています。
1934年、青龍寺尋常高等小学校(黄金村国民学校)に入学。
この小学校は現在、鶴岡市立黄金小学校と改称されています。
藤沢は小学校時代から小説や雑誌を手当たりしだいに読んでいたようで、登下校のときにも本を手放さなかったそうです。
1942年、黄金村国民学校高等科を卒業したあとは、山形県立鶴岡中学校(現・鶴岡南高校)夜間部に入学し、昼間は印刷会社や村役場書記補として働いていました。
1946年に中学校を卒業後、山形師範学校(現在の山形大学)に進学し、文芸に親しみ、校内で同人雑誌『砕氷船』に参加。
このときのようすは自伝『半生の記』にも詳しく書かれています。
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2011年12月6日 | コメント/トラックバック(0) |
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山形生まれの少女『おしん』の物語(4)
名物探偵Xがお贈りするのは、今回も引き続き、山形県を舞台とし、1983~1984年に放送されたNHK連続テレビ小説『おしん』についてです。
自己勝手な経営方針を断行する息子の仁に失望してしまった、しん。
年老い、自らの息子の育て方に疑問を抱いたしんは、故郷の山形で自分の人生を振り返ることにしたのです。
しんは、明治生まれの、利発で心優しい少女でした。
生まれた家が貧しかったため、口減らしのためにわずか7歳で奉公に出されます。
しかし、厳しかった奉公先を抜け出すことになり、その後、酒田の米問屋「加賀屋」に奉公し、跡取り娘の八代加代と友情を結び、大奥様くにの教えを受け、立派に成長していきます。
16歳になったおしんには縁談話が舞い込みますが、破綻したことに責任を感じて加賀屋を出ることに。
おしんは、死んだ姉の夢であった髪結いになるため上京します。
髪結いとして活躍していたところ、羅紗問屋「田倉商店」の主人であった田倉竜三と出会い、親の反対を押し切って結婚。
子供服の製造業で工場を構えるまでになったのですが、東京大震災で全てを失ってしまいます。
竜三の故郷である佐賀に移るも、姑から辛い仕打ちを受け、おしんは佐賀を出て、魚の行商で一からやり直します。
そして、とうとう自分の店を構えることになったのですが……。
人生の終盤に、しんはとある決断をすることになるのです。
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2011年11月18日 | コメント/トラックバック(0) |
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山形生まれの少女『おしん』の物語(3)
全国の名所旧跡をリサーチしている名物探偵Xです。
……とは言っても、実際に各県を回るのはたいへんな労力と費用がかかってしまいます。
そんなときはテレビを見てしまうXであります。
そう、ドラマを見ては、その土地に行った気分になるのであります。
今回も引き続き、山形県を舞台とした、1983~1984年に放送されたNHK連続テレビ小説『おしん』について語りたいと思います。
『おしん』の冒頭は、こんなシーンから始まります。
1983年(昭和58年)、北へと走る列車の中に、とある老婦人がいました。
「田倉しん」という名の老婦人は、三重県志摩半島の町にあるスーパーの経営者でした。
そして、そんな彼女が、記念すべきはずの新舗開店日に行方をくらましてしまったのです。
ええ、一族はそりゃあ大騒ぎです。
しんには孫同然にかわいがっていた八代圭という人物がいたのですが、その圭が山形県の銀山温泉へ当ても無く旅に出たところ、そこで思いがけず、しんと出会うこととなったのです
そこで、初めて圭は山形県がしんの故郷である事実を知ります。
しんが家出した理由は、自己中心的な経営方針をする息子の仁を憂いてのことでした。
息子がああなったのは、自分の育て方が悪かったのか、80年以上にもなる自分の人生で何を失ってしまったのか、しんはそれを探すために旅に出たのです。
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2011年11月11日 | コメント/トラックバック(0) |
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